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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)16829号 判決

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

外井浩志

被告

株式会社ケイエム観光

右代表者代表取締役

波多野康二

被告

乙川二郎

丙沢三夫

丁海四夫

右四名訴訟代理人弁護士

石井芳夫

今中幸男

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

1  原告が被告株式会社ケイエム観光(以下「被告会社」という。)に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2  被告らは原告に対し、各自二三一〇万八五三五万円及び昭和六三年一二月以降毎月二七日限り三三万八三〇〇円を支払え。

第二事案の概要及び争点

一事案の概要(争いのない事実)

1  被告会社は、主に観光バス事業を営む株式会社であり、原告は、昭和五〇年六月二日、被告会社に雇用され、観光バスの運転手として勤務していたところ、被告会社は、原告に対し、昭和六一年七月一八日、原告が昭和六〇年七月二二日及び同年一一月六日の二回にわたり、被告会社に当時バスガイドとして勤務していた訴外A(昭和四一年一〇月生まれで、雇用年月日は昭和六〇年三月。〈省略〉)との間において、勤務時間終了後品川区五反田にあるホテルにおいて情交関係を持ったことが、被告会社就業規則二七条一項一一号、七一条一一号所定の解雇事由である「賭博その他著しく風紀を乱す行為をしたとき」に該当するとして、同年八月一七日付けで普通解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」という。)。

2  被告会社は、右情交関係を告白する内容のA作成にかかる文書(〈書証番号略〉、以下「本件手紙」という。)が昭和六一年七月初めころ被告会社に提出されたことを端緒として右情交関係の存在を認定したものであるところ、原告は、本件手紙の内容は虚偽であって右情交関係は存在しないから本件解雇は無効であると主張し、被告会社に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認とともに、雇用契約に基づく同年九月以降の月例賃金及び夏期、冬期の各賞与の支払いを請求し、また、被告会社は、事実関係を十分に調査せず、解雇事由がないにもかかわらず本件解雇をしたのであるから、原告は、被告会社の故意または過失により賃金を受給する権利を侵害され、また多大の精神的損害を被ったとして、不法行為に基づく損害賠償を請求している。

原告の被告会社に対する請求の具体的内容及び相互関係は以下のとおりである。

(一) 賃金請求(なお、選択的に、賃金請求と同額の不法行為に基づく損害賠償を請求している。)

(1) 月例賃金(月例賃金額が三三万八三〇〇円であることは争いがない。)

①昭和六一年九月分から同六三年一一月分までの月例賃金合計額

九一三万四一〇〇円

(三三万八三〇〇円×二七月)

②昭和六三年一二月以降

毎月二七日限り三三万八三〇〇円

(2) 賞与(昭和六一年冬、同六二年夏・冬、同六三年夏・冬、平成元年夏・冬、同二年夏・冬、同三年夏・冬にそれぞれ支給されるはずであった賞与の合計額であって、右金額については争いがない。)

六九七万四四三五円

(二) 不法行為に基づく慰謝料請求 七〇〇万円

3  また、原告は、同僚のバス運転手である被告乙川、被告丙沢及び被告丁海が、共謀の上、原告を解雇させる目的で内容虚偽の本件手紙をAに作成させ、これを被告会社に提出して本件解雇をさせるに至らしめ、これによって原告は甚大な精神的苦痛を被ったと主張し、右被告らに対し、共同不法行為に基づく損害賠償として、被告会社と連帯して右請求額と同額の支払を求めている。

二争点

1  本件解雇の効力如何

本件解雇事由である原告とAとの間における昭和六〇年七月二二日と同年一一月六日の二回にわたる情交関係の存否、態様如何が最大の争点である。

Aは、本件解雇が無効であるとして原告が申し立てた地位保全仮処分申立事件(東京地方裁判所昭和六一年(ヨ)第二三二三号、以下「仮処分事件」という。)において、原告との間において右情交関係が存在したことを認め、本件手紙が真実を記載したものである旨証言していた(〈書証番号略〉)が、本件訴訟においては、一転して右情交関係の存在を全面的に否定する証言をしている。

2  被告らの原告に対する不法行為の成否及び仮にこれが成立した場合の損害額如何

三本件解雇の効力についての当事者の主張

1  被告らの主張

(一) 原告は、Aとの間において、昭和六〇年七月二二日と同年一一月六日の二回にわたり、勤務時間終了後品川区五反田繁華街のホテルで情交関係を持った。この事実は、仮処分事件におけるAの証言及びA自身が作成した本件手紙により明らかである。

Aには、仮処分事件における証言後結婚する等原告との情交関係を否定しなければならない事情があり、また、原告は、本件訴訟において、当初Aをも共同被告としていたところ、Aにおいて原告との情交関係を否定する証言をすることを条件としてAに対する訴えを取り下げたので、Aは、仮処分事件における証言を覆し、本件訴訟において原告との情交関係を否定する虚偽の証言をしたのである。

(二) Aは、原告と最初に情交関係を持った昭和六〇年七月二二日の夜に、当時同僚のバスガイドであった沼山留美子(現姓荒賀、以下「荒賀」という。)に対し、原告とホテルに行った旨を告白している。そして、荒賀は、右経緯につき、昭和六一年一〇月二日付けの陳述書(〈書証番号略〉、以下「荒賀陳述書」という。)を作成し、そのころ、これを被告会社に提出した。Aは、本件訴訟において、荒賀に対する右告白は冗談である旨証言しているが信用できない。

(三) 女性バスガイドを必要とする被告会社においては、職場内の健全な風紀の維持向上が必要不可欠であり、これを乱した者に対しては解雇等の厳しい処分で臨んできた。

従って、原告のした前記行為は、前記就業規則二七条一項一一号、七一条一一号に該当するから、これを理由とする本件解雇は有効である。

2  原告の主張

原告とAとの間には、本件解雇事由となっている情交関係は存在しない。

(一) Aの仮処分事件における原告との情交関係を認める旨の証言は虚偽であり、Aがこのような虚偽の証言をした理由は、被告会社の人事担当者である村田運行課長及び稲場忠運行係長が、Aに対し、本件手紙に沿った証言をするよう強く求めたためである。また、仮処分事件におけるAの証言内容は、原告と二度にわたり行ったとされるホテルの名前の特定さえもできない等不合理な点が多く、信用性は皆無である。

これに対し、本件訴訟におけるAの証言は、偽証罪で処罰される危険を覚悟の上で仮処分事件における証言が虚偽であったことを告白するものであって、その信用性は高い。

(二) Aは、被告乙川から、被告乙川の友人である被告丙沢が、昭和六一年六月二一日に仕事先である福島県東山温泉において原告と口喧嘩をした際に、原告とAとの間に情交関係がある旨発言したので、被告丙沢の右発言の裏付けにするため、原告がAを犯したという虚偽の文書を作成するよう依頼された。この依頼に対し、Aは当初拒絶していたものの、被告乙川から右文書がないと被告乙川及び被告丙沢が被告会社を辞めざるを得なくなる旨強く説得され、Aは被告乙川の紹介で被告会社にバスガイドとして入社し、入社後も被告乙川の家に遊びに行く等して個人的に世話になっていたこと、被告乙川がAの名前は出さないと約束し、また、原告を解雇することはせずしかるべき人に仲に入ってもらって話し合いをするだけである等と説明されたことから、右依頼を断り切れず、本件手紙を作成して被告乙川に交付した。本件手紙の記載内容については、被告乙川が、被告丙沢及び被告丁海と相談しつつAに指示したのである。

(三) 昭和六一年一〇月当時退職して結婚していた荒賀は、被告乙川から、Aが原告と情交関係を持った事実をA自身が荒賀に告白した旨の陳述書を被告会社に提出しなければ、被告会社在職中の荒賀の男性関係を同女の夫に告げると脅迫されたうえ、稲場運行係長が荒賀に執ように電話を掛けて右内容の陳述書の作成を要求したことから、これを作成したのである。また、荒賀陳述書は、Aと原告との行動を直接見聞した内容を記載したのではなく、同係長らの誘導により作成されたのであって、その信用性は乏しい。

第三争点1に対する判断

本件訴訟は、原告とAとの間に本件解雇事由となっている情交関係が存在したか否かといった極めてプライベートな問題に関わるところに特徴があり、このような関係の存否の認定には、勢い当事者の供述に頼らざるを得ない面のあるのが一般的であり、本件にあっても、偏に本件手紙並びにAの本件訴訟及び仮処分事件における各証言の信憑性如何、反面、原告の供述ないし原告作成にかかる陳述書等の信憑性如何にかかっているといえる。

以下、本件手紙並びにAの本件訴訟及び仮処分事件における各証言の信憑性を中心に本件解雇事由の存否について検討する。

一本件手紙の信憑性について

1  〈書証番号略〉、本件訴訟におけるAの証言、原告、被告乙川及び被告丙沢の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、本件手紙の作成及びこれが被告会社に提出された経緯等は次のとおりであることが認められる。

(一) Aは、高等学校を卒業した昭和六〇年三月、Aの叔母がもと被告乙川の妻の同僚であった関係から、被告乙川の紹介で被告会社にバスガイドとして入社した。被告乙川は、他のバスガイドらに対し、Aが自分の姪であると紹介し、事実上Aの身元引受人的立場であった。このようなことから、Aは、被告会社における研修期間終了後の同年八月以降、月に一、二回被告乙川宅に宿泊し、被告乙川の妻や娘とも親しくなっていた。

(二) 昭和六一年六月二一日、原告、被告乙川、被告丙沢及び指導乗務員である横沢らは、業務で福島県東山温泉に行くことになっていたが、同日早朝、被告丙沢の原告に対する挨拶の仕方が横柄であるとして原告が被告丙沢に注意したことから被告丙沢と原告との間で口論となったが、これは途中で一旦打ち切りとなり、この続きが、同日夜、東山温泉の宿舎において、右横沢立会いのもとでなされ、この問題は一応決着がついたものの、被告丙沢が被告乙川は原告のことについて何か知っている旨発言し、これを受けた被告乙川が、原告とAとの間に情交関係がある旨述べ、原告に対しこれを認めるよう迫った。そこで、右情交関係の存在を真向から否定する原告と被告乙川及び被告丙沢とは数時間にわたり右情交関係の存否をめぐって激しく口論し、その過程において、原告は、Aとの間に情交関係があると主張する被告乙川及び被告丙沢に対し、同被告らを首にしてやる等と発言したことから、被告乙川も、原告に対し、右情交関係を理由にして首にしてやると発言した(以上の原告と被告乙川らとの遣り取りを、以下「東山温泉事件」という。)。

(三) 東山温泉事件において被告乙川が原告とAとの情交関係に言及したのは、被告乙川がAから原告との情交関係について聞いていたからであった。すなわち、

被告乙川は、昭和六〇年一〇月ころ、偶々同乗したバスガイドから原告とAとの間に関係があるとの噂があるので監視した方が良いと言われ、関係があるということは肉体関係があることと理解した。被告乙川は、このようなことがあった同年一二月、Aから話したいことがある旨言われ、Aを寮から被告乙川の自宅に迎えにいった車中において、Aから仕事後原告から誘われ、ビールを飲まされ、ホテルに連れていかれて肉体関係を持たされた旨聞かされ、さらに、同年一一月にも原告に前回のことを謝りたいといって誘われ、同じようにビールを飲まされた後ホテルに連れていかれ、現在生理がない旨聞かされた。被告乙川としては、Aが妊娠したのではないかと疑い、どのように助言して良いものか分からなかったので、自宅についてから妻に右車中でのことを話したところ、妻はAにいつごろから生理がないか等を聞き、医者の診察を受けるように助言した。そして、被告乙川は、その場で被告丙沢に電話でAから聞いた右のことを話し相談をしたところ、被告丙沢もどのように対処してよいものか分からなかった。被告乙川は、この約一週間後にAから生理があった旨の電話連絡を受けたが、原告を許すことはできないという気持ちになっていた。

(四) そこで、東山温泉事件の直後、被告乙川は、原告がAと情交関係を持ったことを明らかにして原告の解雇問題に発展させようと意図し、Aに対し、原告が情交関係について知らないと言っている旨を電話で伝え、この二、三日後、原告との情交関係の存在を明らかにする文書を作成してこれを被告会社に提出するよう求めた。Aは、当初、右文書を作成してこれを被告会社に提出すれば自身も退職せざるを得なくなることを恐れて、その作成に難色を示したが、月に一、二回被告乙川宅を訪問して家族同様の付き合いをしたり、被告乙川からクリスマスプレゼントとして洋服を買ってもらったりしていたことに加えて、右文書が提出されないと被告乙川が被告会社を辞めることになるかもしれないと言われたため、被告乙川の求めに従って、本件手紙を作成した。しかし、恥ずかしさもあって自らこれを被告会社に提出することができず、昭和六一年七月初めころ、これを被告乙川に手渡した。

(五) 被告乙川は、本件手紙をAから預かったものの、これを被告会社に提出すると大きな問題に発展すると考え、提出することに躊躇を感じていたことから、被告丙沢に見せて意見を求めたところ、被告丙沢は、本件手紙が被告会社に提出されれば原告が解雇されることは必至であったため、提出することに乗り気ではなかった。そこで、被告乙川は、被告丁海に相談をもちかけたところ、被告丁海の意見は、本件手紙を被告会社に提出して問題をはっきりさせるべきであるということであったので、本件手紙を被告会社に提出する決意を固め、昭和六一年七月七日ころ、本件手紙を指導乗務員の田中に提出した。

2  〈書証番号略〉、稲場忠の証言によると、本件手紙が被告会社に提出された後の被告会社の本件手紙内容についての事実調査の経緯は次のとおりであることを認めることができる。

被告会社の安全運行、事故防止、乗務員の指導等を担当していた稲場運行係長は、田中指導乗務員から右のような経緯で本件手紙を受け取り、内容の重大さに驚き、上司の村田運行課長に報告したところ、事実関係の調査を開始するよう指示された。

そこで、稲場運行係長は、昭和六一年七月一〇日、Aから約一時間にわたり事情を聴取したところ、Aは本件手紙に記載された内容に間違いはない旨述べた。そして、稲場運行係長は、その場で、本件手紙にAの署名がなかったので、Aに署名をさせたうえ、同月一二日、原告から事情を聴取したところ、原告は、Aとの情交関係の存在を全面的に否定したので、同月一六日、原告を同席させたうえでAから再度事情を聴取したところ、Aは、前回と略同内容のことを述べるとともに、情交関係の存在を全面的に否定していた原告に対し、卑怯であるとか、男らしく事実を認め、反省すべきである等を述べた。これに対し、原告は、情交関係の存在を否定するのみであったので、稲場運行係長は、単に否定することのみに終始していた原告の態度からみてAとの間に情交関係が存在したとの判断を強めた。しかし、原告が、情交関係を最後まで否定していたので、稲場運行係長はAに対し、原告との関係を他の者に話したことはないか否かを尋ねたところ、Aは、昭和六〇年七月二二日に帰寮した際、胸に秘めておくことができなかったので、退職した荒賀に話した旨答えた。そこで、稲場運行係長は、右事情聴取が終了した直後、荒賀に電話でAから原告との関係について何か聞いていないか否かを尋ねたところ、荒賀は、Aから昨年の夏ころ原告に食事に誘われた後ホテルに行ったということを聞き、善後策を話し合ったが適切な助言を与えることができず、落ち着いてから後日考えようということになったが、その後話し合ったけれども結論が出ずじまいになってしまった旨答えた。

その後、原告は、仮処分事件を申請したので、稲場運行係長は、昭和六一年一〇月二日、被告会社の主張を根拠付ける証拠の一つとして荒賀と喫茶店で面会し、荒賀に対し、Aから聞いた原告との関係を書面化することを依頼したところ、荒賀はこれに応じ、その場で荒賀陳述書を作成した。これには、Aは、昭和六〇年夏ころの夜、荒賀の部屋に尋ねてきたが先輩がいたので、娯楽室に行って話を聞いたところ、同日仕事が終了した後原告と五反田に行って食事をし、この後、酔っていたこともあって原告とともにホテルに行った旨話されたが、詳しくアドバイスを与えることはできず、このことは暫く二人の胸に秘めておくこととし、改めて考えようということとなった。しかし、その後、二人で話し合ったが、解決法を見いだせないままうやむやとなってしまった旨が記載されている。

3  以上の認定事実に対する原告の主張ないし供述について検討する。

(一) 原告は、本件手紙の作成経緯に照らし、被告乙川は原告を解雇してやろうとの悪質な意図の下に、Aに無理矢理内容虚偽の本件手紙を書かせた旨主張する。

本件手紙の内容は、Aが原告との間で昭和六〇年七月二二日と同年一一月六日の二回にわたり情交関係を持ったというものである(〈書証番号略〉)ところ、なるほど、本件手紙が作成されたのは昭和六一年七月であって右情交関係を持ったとされる時期とかなり時間的に間隔があり、しかも、東山温泉事件による原告と被告乙川らとの感情的対立を背景として、いわばその決着をつけるための手段として、被告乙川がAに対しその作成を強く求め、Aがこれに応じて作成した面のあることは否定しがたい。

しかしながら、未成年で独身のAが職場の運転手であった原告との間で情交関係を持ったということを告白する文書を作成するなどということは並大抵のことではできないことは容易に首肯し得るところであるし、被告会社においては、運転手とバスガイドとが情交関係にあることが発覚した場合、例外なく双方とも退職することになるのが通例であり、そのことはAも了知していた(〈書証番号略〉、稲場証言)のであるから、本件手紙をAが自発的に被告会社に提出することは、Aにおいてバスガイドの仕事を続けていきたいという気持ちを有する限り、むしろ期待できないのであって、Aが被告乙川の強い要求により本件手紙を初めて作成する気になったという過程自体に特段不合理な点はない。

また、本件手紙の提出経緯について、やや特異な点があったことは否定できないが、本件手紙の内容や体裁自体から、Aが専ら被告乙川の指示・指導に従い本件手紙を作成したとの事実を推認することはできず、また、本件手紙が原告のみならずAの地位にも重大な影響を及ぼすことを考えると、バスガイドの職を失うことを恐れたAが、本件手紙の内容は被告乙川の指示による作り事である旨被告会社に弁解する可能性も十分にあるのであって、その場合には、一転して被告乙川が窮地に陥ることになるのであるから、前記のような本件手紙の提出経緯から直ちに原告の主張する事実を認定することはできない。

(二) 原告は、Aの次の供述の変遷状況に照らし、Aが被告乙川に原告との関係を打ち明けたことはない旨主張する。

すなわち、Aは、仮処分事件において、「昭和六〇年八月ころには原告とAとの関係が同期のバスガイドの間で噂になっていたところ、昭和六〇年一〇月ころ、被告乙川から、原告と何かあったという噂を耳にしたがどうなのかと問いただされたので、原告と肉体関係をもったことを打ち明けた。被告乙川に対してはもう一回話していると思うが時期ははっきりしない。また、昭和六一年一月ころ、被告丙沢の運転するバスに乗務したときに、被告丙沢が原告との関係について被告乙川から聞いているがどうなのかと質問してきたので、原告と肉体関係を持った旨答えた。」旨の証言をしているが、本件手紙には、被告乙川に原告とのことを打ち明けたのは昭和六〇年一一月六日の何日かして後であると記載しており、また、昭和六一年七月一〇日になされた被告会社による事情聴取の際には、被告乙川に打ち明けた時期は昭和六〇年八月であると供述しているのである。

しかし、〈書証番号略〉(原告の仮処分事件での本人調書)及び原告本人尋問の結果によっても、①昭和六一年二月ころ、被告会社の車庫において、被告乙川が、突然原告に対し、「Aに手を出したな。」と発言していること、②昭和六一年四、五月ころ、Aが原告に対し、被告丙沢に叱られた旨告げていること、③前記のとおり、昭和六一年六月二一日に福島県東山温泉において、原告、被告乙川及び被告丙沢が、原告とAとの間の情交関係の存否をめぐり口論していること等の事情が認められ、右各事情に照らすと、Aが被告乙川及び被告丙沢に対して東山温泉事件以前に原告との関係を打ち明けていたことは否定できないというべきである。

そして、Aから原告と情交関係を持ったことを聞いた時期につき、被告乙川は昭和六〇年一二月ころであると供述し、また、被告丙沢は昭和六一年五月ころであると供述しているところ、右各供述は、前記①ないし③の各事情に照らし信用できるというべきである。これに対し、Aは、仮処分事件において「自分でもはっきり、何月に話したのかということは記憶していない。」と証言しており、被告乙川らに原告と情交関係を持ったことを話した時期に関するAの仮処分事件における証言は信用できない。

(三) Aは、本件訴訟において、荒賀に対し原告と付き合っている旨の話をしたことはあるが、昭和六〇年八月ころ、原告とAとの仲についてバスガイド間で噂が流れていたことから、冗談として言ったにすぎないし、また、娯楽室にわざわざ行って話をしたのではなく皆のいる場所で話をしたもので、話自体も原告と肉体関係があるというような内容ではなかった旨証言している(A証言及び〈書証番号略〉)。

そこで検討するに、〈書証番号略〉、稲場忠の証言及び弁論の全趣旨によれば、①稲場運行係長は、昭和六一年七月一六日のAに対する事情聴取及び同日の電話での荒賀に対する事情聴取の結果、Aが昭和六〇年七月二二日に原告とホテルに行ったことを当日寮に帰ってすぐに荒賀に話したものと認識し、右認識を前提として昭和六一年一〇月二日の荒賀に対する事情聴取をしていること及び②それにもかかわらず、荒賀は、同係長、原告及び原告代理人に対し、最初は娯楽室でおおまかなことを聞き、その後数日して原告とホテルに行ったことを聞いた旨一貫して供述していることが認められるのであるから、荒賀供述は、荒賀自身の確かな記憶に基づくものとして信用できるというべきである。

してみると、荒賀がAから原告との関係を聞いた状況は荒賀供述のとおりであったと認めるのが相当であり、これに反するAの前記証言は信用できない。そして、Aと荒賀が、わざわざ娯楽室に行って話をすること自体、荒賀の部屋を訪れたときのAの様子が通常と異なるものであったこと及びこのときのAと荒賀の会話が他者に聞かれるのを憚る内容のものであったことを推察させるものであって、Aが荒賀に対し原告と肉体関係があるかのようなことを言ったのは冗談であったとのAの前記証言も信用できない。

もっとも、Aは荒賀に対し、娯楽室において、原告とホテルに行った旨を明確に述べたとは認められないのであるが、既に認定したところによれば、荒賀としては、娯楽室で聞いたAの話及びその際のAの状況から、Aが原告と情交関係を持ったことを既にかなりの程度察していたことが窺えるのであり、明確にホテルに行った旨を後日聞いたこと自体は重要な問題ではない(〈書証番号略〉によれば、荒賀は、娯楽室が暗くてAの様子がよくわからなかった旨原告代理人に回答しているが、右回答は「泣きそうな様子等があったか。」という質問に対する回答であって、荒賀において娯楽室におけるAの様子がおよそわからなかったという趣旨の回答でないことは明らかである。)。

なお、原告は、荒賀陳述書の作成経緯につき、Aが被告乙川から荒賀の電話番号を聞かれてこれを教えたところ、被告乙川が既に被告会社を退職して結婚していた荒賀に対し、被告会社在職中の男性問題の存在を同女の夫に知らせると脅迫して陳述書を作成するよう要求し、その後、稲場運行係長が、荒賀に対し執ように電話をかけて陳述書の作成を要求したと主張する。

しかしながら、被告乙川が荒賀を脅迫したとの点については、本件訴訟におけるAの証言以外にこれを認めるに足りる証拠はないところ、〈書証番号略〉によれば、仮処分事件において荒賀陳述書が疎明資料として提出された日である昭和六一年一〇月一三日に原告が荒賀に電話して荒賀陳述書の作成経緯について質問した際、荒賀は原告に対し比較的協力的に話をしたことが認められるのであって、仮に、荒賀が前記A証言のとおり被告乙川から脅されて陳述書を作成したとすれば、荒賀は右陳述書の作成経緯が判明することを極力警戒するはずであり、これに関わる原告の質問に対して協力的に対応することは通常考えられないのであるから、前記A証言は信用し難いといわなければならない。また、被告会社から荒賀が事情聴取を受けた当時、荒賀は既に退職して結婚し、かつ身重であって、本件解雇をめぐる紛争に巻き込まれることを嫌悪していた(〈書証番号略〉)にもかかわらず、前記のとおり事件の核心に触れる内容を陳述していることに照らすと、仮に被告会社の稲場運行係長らが荒賀に執ように電話をかけて陳述書の作成を要求した事実があったとしても、そのことから荒賀陳述書の信用性を否定することはできない。

二仮処分事件におけるAの証言(以下「Aの仮処分証言」という。)の信憑性について

1  仮処分事件において、Aは、「原告と情交関係を持ったホテルは二度とも五反田の同じホテルであるが、ホテルの名前は記憶していない。本件解雇後昭和六一年七月中旬から同年九月上旬ころにかけて二回にわたり被告会社の稲場運行係長とともに当該ホテルを探しに行った。二回目に探しに行ったときに男性客の靴を預かるホテルがあり、原告と昭和六〇年七月二二日に行ったホテルがそのような扱いをするホテルであったので、自分としては原告と行ったホテルは二回目にみつけたそのホテルに違いないと思ったが、現時点(昭和六一年一二月五日)においてはそのホテルの名前を記憶していない。」と証言している。

この点につき、原告は、Aが原告と二回にもわたり情交関係を持たされたホテルの名前や場所を記憶していない、更に、本件手紙には、原告を一生許さないというほどの怒りを感じていたと記載されているにもかかわらず、そのホテルの名前や場所を記憶していないとするのは不自然であると主張し、Aも、本件訴訟において、「稲場運行係長は真剣にホテルを探してはいなかった。二回目のホテル探しは、もともと被告乙川と被告丙沢がホテルを探してきたと言ってきたことからこれを稲場運行係長と探しに行ったのであり、男性客の靴を預かるという話も被告乙川が具体性を持たせるために作り上げた話である。仮処分証言の際には、被告乙川からホテルの名前は忘れたと証言するよう指示を受けた。」と証言している。

しかしながら、稲場運行係長がホテルを真剣に探していなかったというのであれば、わざわざ二回にわたりホテルを探しに行くことはないと考えられるし、また、被告乙川が、Aが原告と情交関係を持ったとするホテルを探してきておきながら、仮処分事件においてホテルの名前を忘れたことにするようAに対し指示するのはいかにも不自然であって、Aの右証言は信用できない。

そして、①原告とAとが情交関係を持ったとされる昭和六〇年七月と同年一一月当時、Aは未だ一八、九歳であり、しかも、同年三月に上京したばかりで本件以外に五反田に来たこともなかった(〈書証番号略〉)というのであるから、ホテルの場所や名前を明確に認識していなかったとしても不自然ではないこと、②Aの仮処分証言によれば、二回目のホテル探しのときにAは原告と情交関係を持ったホテルを見つけたと確信したというのであるが、Aはそのことを同行していた稲場運行係長に告げておらず(稲場証言)、Aが二回目のホテル探しの際に原告と情交関係を持ったホテルの特定につき、現実にどの程度の確信を持ったかは疑問であって、Aが仮処分証言時に右ホテルの名前を忘れていたとしても不思議ではないこと及び③そもそもこの種のホテルは名前を確認したうえで利用するようなホテルではないことが一般的であること等の事情を考慮すると、利用したホテルが判明しなかったことをもって、Aの仮処分証言の信用性を左右することとはならない。

2  Aは、仮処分事件において、昭和六〇年一一月六日に原告と情交関係を持った状況につき、「昭和六〇年一一月六日都内遊覧の仕事で原告と台数が一緒(何台かの観光バスで一緒に仕事をすること)になった。乗車するバスは原告の運転するバスではなかった。同日午後六時三〇分ころ、車庫で乗務したバスの水切り(洗車機で洗ったバスの窓についた水滴を拭き取ること)をしているとき、原告から「この間のことを謝りたいから、今晩五反田で会って食事をしないか。」と誘われた。」と証言している。

Aの右証言につき、原告は、昭和六〇年一一月六日に原告が乗務した都内遊覧は午前中で終了し、東京駅付近で何時間か時間をつぶした後、コマツアメリカのツアー客を東京駅からホテルオークラに送って午後六時三〇分ころ帰庫したが、これに要したバスは二台であって、Aはコマツアメリカの仕事に従事しておらず、都内遊覧終了とともに帰庫し、直ちに事務所に乗務終了の連絡をした後バスの水切り等をしているはずであるから、同日午後六時三〇分ころ、車庫でバスの水切りをしているとき、原告から声をかけられたというAの証言は信用できない旨主張する。

なるほど、原告が昭和六〇年一一月六日に都内遊覧の後コマツアメリカの乗務に従事したこと、Aがコマツアメリカの乗務に従事していなかったことは争いがないところであるが、原告作成の業務日誌(〈書証番号略〉)及びAが本件訴訟における証言後に作成した平成二年六月七日付け陳述書(〈書証番号略〉)によっても、都内遊覧の仕事が午前中で終了したとの事実を認めることはできず、また、Aの都内遊覧後の乗務態様及び帰庫後の勤務状況は特定されない(Aは仮処分事件において昭和六〇年一一月六日の乗務につき都内遊覧の仕事で終わりだと思っている旨証言しているが、一方において、同日午後六時三〇分に帰庫した、駅からホテルまで客を運ぶというような仕事はしょっちゅうあるとも証言しており、結局のところ、都内遊覧後の乗務態様は特定していない。)のであるから、都内遊覧が午前中で終了したこと及びAの乗車していたバスが都内遊覧後直ちに帰庫したことを前提とする原告の主張を直ちに採用することはできない。かえって、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、Aは、原告の昭和六〇年一一月六日の乗務内容が記載された前記乗務日誌が仮処分事件における疎明資料として提出されていない段階で、原告から昭和六〇年一一月六日午後六時三〇分ころ声をかけられた旨証言していることが認められるところ、前記のとおり、Aは、原告と同日都内遊覧後の乗務形態を異にし、原告が同日何時ころに帰庫したかを当然に知り得る状況ではなかったことを考えると、同日午後六時三〇分ころ以前において原告及びAがどのような行動をとったのかは必ずしも明らかでないとしても、同時刻ころにAが車庫で原告から声をかけられたということは否定し難いというべきである。

3  以上のほかにも、原告は、Aの仮処分証言には客観的事実に反する点や一貫性を欠く点が多々あり、信用できない旨主張する。

(一) Aは、仮処分事件における証言において、被告会社在職中に原告の運転するバスに乗務したことが二回あり、昭和六〇年七月二二日の山中湖往復の仕事が一回目であり、二回目は筑波博に行く仕事で、時期としては同年一一月六日までの間だった旨証言している。しかしながら、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、昭和六〇年七月一二日の筑波博に行く仕事が原告とAとが同乗した最初であり、同年七月二二日が二回目であって、その後Aは原告の運転するバスに乗務していないことが認められるのであるから、Aの右証言が月日の点において客観的事実に合致していないことは明らかである。そこで、原告は、Aが原告と情交関係を持ったとすれば、この日のことが強く印象に残っているはずであるのに、その日原告の運転するバスに初めて乗務したのかどうかという事実について間違えるのは、記憶違いとしても不合理であって、Aの仮処分証言が全くの虚偽であることを意味している旨主張する。

しかしながら、Aは、仮処分事件において、二回目に原告の運転するバスに乗務したときは何もなかった旨証言しているにとどまり(〈書証番号略〉)、原告と筑波博に行ったときのことはさほど印象に残っていないと思われるのであって、前記の点がAの仮処分証言の信用性に直ちに影響を及ぼすものとは思われない。

(二) 仮処分事件において、Aは、原告と一回目に情交関係を持った昭和六〇年七月二二日は寮に午後八時二〇分ころ帰り着いた旨証言しているが、他方、本件手紙には同日午後九時三〇分ころ寮に帰り着いたと記載されている。原告は、この点につき一貫性を欠く旨主張するが、寮に帰り着いた時刻が午後八時二〇分か午後九時三〇分かという問題自体かなり細部にわたる時刻の特定であるところ、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、本件手紙が作成された時期は昭和六一年七月ころであり、Aの仮処分証言は同年一二月五日になされたものであって、昭和六〇年七月二二日から既に一年ないし一年五か月が経過していること、Aは昭和六〇年七月二二日のことを当時日記等に記録していたわけではないこと及びAは右証言前に本件手紙の内容を確認していないこと等の事情が認められるのであって、これらの諸点に鑑みれば右の程度の時刻の不一致をもって不自然ということはできず、従って、この点に関する不一致をもってAの仮処分証言の信用性を左右することにはならない。

(三) 原告は、昭和六〇年一一月六日においてAを五反田に出向かせるために原告がAに対して申し向けたという脅迫文言が本件手紙とAの仮処分証言では変遷しており、Aはその場で適当なことを供述しているに過ぎない旨主張する。しかし、本件手紙に記載された脅迫文言は「俺は何とでも言える。お前の悪い噂を流すこともできる。」というものであるのに対し、仮処分事件においてAが証言した脅迫文言は「千葉の(Aの)実家に電話をして親が心配するようなことを告げることもできる。乙川のこともいろいろ知っている。」というものであって、両者は質的に異なる脅迫文言というよりは、後者は前者をより具体的にしたものと考えられること及び本件手紙の記載内容は事実経過の概要のみを記載したもので必ずしも網羅的なものとはいえないことを考えると、本件手紙とAの仮処分証言における脅迫文言の相違は、Aの仮処分証言の信用性を左右しない。

(四) Aは、本件手紙末尾に「それから先日車庫で甲野さん(原告)と会ったときに『お前が話さなければ』と言っていました。」と記載しているところ、仮処分事件において、Aは、原告が何時右のような発言をしたのかは特定できず、また、右の言葉の意味するところは「私が話さなければ甲野さんはこういう問題に巻き込まれずにすんだというか、会社から何度も呼ばれてこういうみじめな思いをしなくてすんだ―」ということであると証言している。原告は、原告が被告会社から事情聴取を受けたのは本件手紙を被告会社が読んだ後であるのは当然であるから、Aの右証言は明らかに矛盾しており、このことはAの仮処分証言が記憶に基づかないものであることを意味すると主張するが、右のようなAの証言は、Aにおいて当該尋問の趣旨をどの程度正確に把握して証言していたかという点について疑問を抱かせるものではあっても、Aの仮処分証言全体の信用性にかかわるようなものではないことは明らかである。

(五) その他にも原告は、Aの仮処分証言が合理性を欠くとして、①Aはホテルから寮に帰る際に原告から金を受領していること、②Aが昭和六〇年七月二二日にホテルに行った経路についての不自然性、③ホテルの部屋内部での行為の不自然性等を縷々指摘しているところ、これらの主張は、要するに、Aの細部にわたる記憶の曖昧さを指摘するものであるか、Aの仮処分証言を前提としてAの行動の非合理性を指摘するものである。しかしながら、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、原告とAとが情交関係を持ったとされている当時、Aは未だ一八、九歳に過ぎず、到底冷静に事態に対処し、これを観察記憶しているとは思われないし、しかも、原告とAとは飲酒のうえ情交関係を持ったとされているところ、Aはあまり酒に強くなく、酒をのむと様子が変わる(〈書証番号略〉)というのであるから、細部にわたるAの記憶に曖昧さがあったり、また、Aがとったとされる行動に合理性を欠くとされる部分があったとしても、そのことはAの仮処分証言の信用性を左右するものではない。

三本件訴訟におけるAの証言の信憑性について

Aは、本件訴訟において、Aの仮処分証言及び本件手紙内容のうち、原告との間に情交関係があった旨の証言及び記載は虚構であって、現時点においては真実を証言して心のわだかまりをなくし、落ち着きたい旨証言する。

しかし、原告との情交関係を否定する右証言は、この大部分が原告訴訟代理人の誘導ないしこれに類似した尋問によるものであって、具体性に欠けるし、原告との情交関係を否定する証言をするようになった動機についての説明も、それまでの間、真実を証言する機会は十分あったと考えられるのに、何故に本件訴訟において敢えて真実を証言する決意をするに至ったのかという点につき説得力に欠ける。

そこで、Aが仮処分事件で証言した後本件訴訟で証言するまでの経緯等についてみることとする。

〈書証番号略〉、Aの証言、原告本人尋問の結果によると、次の事実を認めることができる。

原告は、本件訴訟提起に先立つ昭和六三年七月一四日、Aに電話して本件手紙内容について直接問い質すことを試みたが、Aは、被告乙川に聞いて欲しい旨述べて直接答えることを回避する態度を示した。原告は、その後の同年一一月三〇日、Aをも共同被告として本件訴訟を提起したのであるが、Aは、同一二月ころ家出をして白井良夫と同棲生活をし、平成元年一月七日ころから千葉県佐倉市内のパチンコ店で同人とともに住み込みで稼働していたこともあって、右提起を知ったのは同月八月ころであった。Aは、仮処分事件が被告会社勝訴で決着したことから、これに関する紛争は既に解決していたと思っていたところ、困惑した。

その翌日の同月九日、Aは、上司にあたる勤務先の支配人立会いのもとに原告との情交関係は全くなかった旨の陳述書(〈書証番号略〉)を作成し、同月二四日には、Aの両親の住居において、両親、原告及び原告訴訟代理人、勤務先の支配人夫婦及び白井良夫立会いのうえで、主に原告訴訟代理人から原告との情交関係の存否について録音しながらの事情聴取を受けた。しかし、この事情聴取は右情交関係が存在しなかった旨の供述を期待してなされたものであって、Aはこれに応えて右情交関係の存在を否定した供述をし、右事情聴取終了後、原告訴訟代理人が下書きした文書に基づき、同日付けで同旨の陳述書(〈書証番号略〉)を作成した。そして、原告は、同月二五日、Aに対する訴えを取り下げ、Aは、平成二年一月二六日と同年三月二八日の二回にわたり本件訴訟において原告との情交関係を否定する証言をし、同年六月七日付け陳述書(〈書証番号略〉)で右証言を補充し、平成三年四月一二日付け陳述書(〈書証番号略〉)で同年一月二五日の被告乙川の法廷供述に真実と異なる点があるとしてこれを指摘し、更に、同年六月二八日付け陳述書(〈書証番号略〉)で被告乙川の同年四月一九日の法廷供述につき事実と異なる点があるとしてこれを指摘した。また、その間の平成二年一月上旬白井良夫との婚姻届をなし、同年四月ころ一児を出産している。

以上の認定事実によると、Aが本件訴訟において原告との間の情交関係の存在を全面的に否定するようになったのは、原告、両親、上司らの無形の圧力によったのではないかとの疑問を払拭し去ることはできず、これに加え、Aの身上の変化がかなりの程度影響しているではないかと考えられる。

四本件解雇事由について

Aの仮処分証言及び本件手紙は、その細部について曖昧さを否定することはできないし、被告乙川が東山温泉事件を契機としてAに対し本件手紙の作成を強く要求した結果、Aがこれを作成したものであることもまた否定できないところである。しかしながら、①荒賀、被告乙川及び被告丙沢はいずれも東山温泉事件の前に既にAから原告と情交関係を持った旨を打ち明けられていること、②本件手紙が被告会社に提出された経緯等からしても、Aが被告乙川の指示に基づいて内容虚偽ないし架空の内容を本件手紙に記載したとの事実を認めることはできないこと及び③Aの原告との情交関係を否定する本件訴訟における証言や陳述書については供述変更の動機、過程に疑問があること等の各事情を総合すると、Aの仮処分証言及び本件手紙は、Aが原告と二度にわたり情交関係を持ったという基本的部分に関する限りその信用性を肯定できるということができる。

なお、原告は、昭和六〇年七月二二日午後九時以降は自宅でテレビ映画を観ていたから、Aとホテルに行っていたはずはない旨供述するが、他に十分な裏付けとなる証拠はないから、右供述をにわかに信用することはできない。また、原告は、昭和六〇年七月二二日の件につき、午後四時三〇分ころ被告会社車庫において、一時間後に五反田駅で待ち合わせるとの約束をしても、間に合わない可能性があり、右時間設定は不合理であるとも主張、供述するが、これは、原告が勤務終了後自宅に帰って着替えをすることをその前提とするものであり、右前提を認めるに足りる証拠がない以上、右供述もにわかに信用することはできない。

さらに、原告は、高速プレートの使用によるリベートの件や昭和六〇年四月のベースアップの件について被告会社を追及したことから、原告は被告会社に嫌悪されており、それが本件において被告会社が強引に原告を解雇した原因であって、指導乗務員である横沢は、被告乙川らに対し、本件手紙をAに書かせるよう仕向け、かつ、横沢は被告乙川らの首は横沢が守ってやると言っていた等供述しているが、右供述は、いずれも推測ないし伝聞にとどまるものであって、既に認定したところに照らし、信用できない。

そうすると、原告がAと情交関係を持った状況及び態様は〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、以下のとおりであると認められる。

1  Aは、昭和六〇年七月二二日の山中湖まで往復する勤務において、原告の運転するバスに乗務し、同日午後四時三〇分ころに品川区大崎所在の被告会社車庫に帰り着いたところ、原告から「今日早く終わったから食事でもどうか。これから一時間後に五反田駅の改札口で待っている。」と誘われ、同駅で待ち合わせたうえ、原告に居酒屋に連れて行かれて酒を飲まされ、居酒屋を出ると、五反田繁華街のホテルに連れて行かれた。Aは、酒を飲んでぼうっとなっていたうえ、怖くて足が震えて立てない状態となり、また、ホテルを出ても駅までの道も分からなかったので逃げることができず、結果的に原告と情交関係を持たされた。

2  Aは、昭和六〇年一一月六日午後六時三〇分ころ、原告と同じバスではなかったが都内遊覧の仕事を共にした後、車庫でバスの窓に付いた水滴を拭き取っているとき、原告から「この間のことを謝りたいから、今晩五反田で会って食事をしないか。」と誘われた。Aはいったん断ったが、原告が「Aの実家に電話をして親が心配するようなことを言うこともできるし、被告乙川のこともいろいろ知っている。」と脅すので、実家のことはともかく、被告会社に入社するについて世話になり、また実質的に被告会社に対するAの身元保証人的な立場にある被告乙川に迷惑がかかってはいけないと思い、前回同様五反田駅で原告と会った。そして、Aは、前回と同様原告に居酒屋に連れて行かれ、飲食をした後ホテルに行って情交関係を持たされた。

五本件解雇の効力について

被告会社にあっては、その営業上女性バスガイドが不可欠であって、その確保等のため被告会社内における規律保持が特に要求されていること及び男性であるバス運転手と女性バスガイドが長時間同乗する勤務形態や宿泊を伴う旅行に同乗する勤務形態が予想されること(稲場証言)に照らすと、バス運転手と女性バスガイドとの間における男女関係を就業規則によって原則として禁止し、これに反した場合には「賭博その他著しく風紀を乱す行為をした」ものとして解雇することができる旨定めることには合理性がある。

なお、本件解雇が解雇権の濫用に該当するか否かを検討するに、前記認定したとおり、原告は、勤務時間中に、被告会社内において、運転手とバスガイドという職務上の関係を利用したり脅迫的な文言を使用する等してAを誘っていること(もとより、本件は男女間の事柄であって、Aが任意に原告との情交関係を持ったという側面があることを完全に否定することはできないが、最初に情交関係を持った当時、Aは未だ一八歳の独身女性で、被告会社に入社して四か月程度しか経っていない新人バスガイドであったのに対し、原告は当時既に四〇歳を越えた妻子を有する男性であり、被告会社に入社して一〇年を経過したベテラン運転手であったことを考えると、Aにおいて原告の誘いを断固として断ることが期待できたかどうかは疑問であり、全く任意に情交関係を持ったケースと本件とを同一視することは相当ではない。)、本件解雇が原告の経済的状況等を考慮して普通解雇にとどまっていることの各事情を総合すると、本件解雇が解雇権の濫用に該当するとはいえないというべきである。

以上によれば、本件解雇は有効であり、原告は被告会社に対し、雇用契約に基づき昭和六一年九月以降の月例賃金及び賞与を請求する権利を有しない。

第四争点2に対する判断(被告らの原告に対する不法行為の成否)

本件解雇が有効であることは前述したとおりであり、また、本件手紙が原告とAとの間の情交関係の存在という基本的部分について虚偽の文書といえないことも、前述したとおりである。そして、他に被告らに原告の主張する違法行為を認めるに足りる証拠もない。

従って、この点に関する原告の主張は理由がない。

第五よって、本訴請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官林豊 裁判官山之内紀行 裁判官岡田健)

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